STORY

驚愕のラスト5分、あなたは見抜けるか?

ワーグナーの旋律

目覚める度に失う記憶

水晶の夜 クリスタル・ナハト

最愛の妻ルースが死んだ。だが、90歳のゼヴはそれすら覚えていられない程、もの忘れがひどくなった。ある日彼は友人のマックスから1通の手紙を託される。「覚えているか?ルース亡きあと誓ったことを。君が忘れても大丈夫なように、全てを手紙に書いた。その約束を果たしてほしい―」2人はアウシュヴィッツ収容所の生存者で、70年前に大切な家族をナチスの兵士に殺されていた。そしてその兵士は身分を偽り、今も生きているという。犯人の名は“ルディ・コランダー”。容疑者は4名まで絞り込まれていた。体が不自由なマックスに代わり、ゼヴはたった1人での復讐を決意し、託された手紙と、かすかな記憶だけを頼りに旅立つ。だが、彼を待ち受けていたのは人生を覆すほどの衝撃の真実だった―

囚人番号 78814

Introduction

アカデミー賞受賞キャスト&スタッフたちが仕掛ける、至極のサスペンス

本作が脚本家デビューとなるベンジャミン・オーガストは、これまでのホロコーストを題材にした映画とは全く違うアプローチで物語を作り上げた。描かれる舞台は現代のみで、1通の手紙をきっかけに70年前の事件が動き出す。だがゼヴは認知症の瀬戸際におり、記憶は目覚める度に消えたり戻ったりを繰り返す。復讐の旅は次々に新事実を浮かび上がらせ、決して予想の付かない驚愕の結末へと向かう―。監督は『スウィート ヒアアフター』(97)を始め、数々の名作を世に贈りだしてきた名匠アトム・エゴヤン。自身でも脚本を書く彼をして「完膚なきまでに独創的なストーリー」と言わしめた物語を見事に映像化した。主人公ゼヴを『人生はビギナーズ』(10)で史上最高齢でのアカデミー賞®助演男優賞に輝いたクリストファー・プラマーが演じ、マーティン・ランドーやブルーノ・ガンツほか名優たちも大集結。復讐の旅でゼヴの辿る一歩一歩にハラハラさせられ、次々に起こる予測不可能な展開が謎を加速する―至極のサスペンスが誕生した!

CAST&STAFF


監督:アトム・エゴヤン

1960年7月19日生まれ。エジプト・カイロ出身。大学卒業後、初の長編映画『Next of Kin』(84/日本未公開)がカナダのアカデミー賞に相当するジニー賞で監督賞にノミネート。続く『ファミリー・ビューイング』(87/日本未公開)がロカルノ映画祭エキュメニック審査員賞、トロント映画祭最優秀カナダ映画賞を受賞し、ジニー賞では作品賞を含む8部門にノミネートされた。94年、『エキゾチカ』でカンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞、ジニー賞でも作品賞・監督賞を含む8部門を受賞し、世界的に注目を集める。そして97年、『スウィート ヒアアフター』では、カンヌ国際映画祭で審査員グランプリ、国際批評家連盟賞、エキュメニック賞をトリプル受賞。アカデミー賞®では監督賞・脚色賞の2部門にノミネートされ、全世界で高い評価を受けた。その他の監督作に『アララトの聖母』(02)、『秘密のかけら』(05)、『クロエ』(09)、『デビルズ・ノット』(14)、『白い沈黙』(15)など。国際映画祭での審査員経験も数多く、ベルリン国際映画祭で審査員長を務めた他、カンヌ、ヴェネチア、サンダンス、トロント、トライベッカ等で審査員を務めている。また、ワーグナーの「ワルキューレ」をはじめ、オペラや舞台劇の演出も数多く手がけた経歴も持つ。

脚本:ベンジャミン・オーガスト

1979年生まれ。アメリカ出身。キャスティングディレクターとしてTVシリーズ「Fear Factor」(03~04)、プロデューサーとしてTVシリーズ「Don’t Forget the Lyrics!」(07~08)を手掛け、俳優としても「Broken Pipe Dreams」「Replication Theory」(共に07)に出演するなど多方面で活躍。脚本家としてデビューした『手紙は憶えている』で、国内外で高い評価を受ける。脚本の次回作は、俳優エリック・ストルツが監督を務める『Class Rank(原題)』(17)。

KEYWORD

『手紙は憶えている』を紐解くキーワード

  • サイモン・ヴィーゼンタール・センター
  • リヒャルト・ワーグナー
  • クリスタル・ナハト(水晶の夜)
  • アウシュヴィッツ収容所

サイモン・ヴィーゼンタール・センター

ロサンゼルスに本部を置く非政府組織。ナチス戦犯を追及し続けたサイモン・ヴィーゼンタールの名前を冠して1977年に設立された。ホロコースト(ナチ体制によるヨーロッパ・ユダヤ人大量虐殺)の記録保存や反ユダヤ主義の監視を行い、国際的影響力を持つ。また、現在も世界各地に潜むナチス戦犯を追い続けており、「ナチ・ハンター」という異名も持つ。劇中ではゼヴとマックスも、このセンターで宿敵“ルディ・コランダー”の情報を手に入れた。ナチスのユダヤ人迫害について、より認識を深めることを目的とした「寛容の博物館」を運営しており、毎年数十万人の人々が訪れる。

リヒャルト・ワーグナー

19世紀ドイツを代表する作曲家。作曲にとどまらず文筆活動にも積極的に精を出した人物として知られ、音楽界だけでなく当時のヨーロッパの人々に広く影響を及ぼした。彼の音楽に熱狂・心酔していた人たちは「ワグネリアン」と呼ばれ、ヒトラーも彼の音楽と思想を愛しワグネリアンを自称していた。ナチスは書籍や新聞、またラジオ・映画といった当時の目新しいメディアを積極的にプロパガンダの手段として利用しており、ワーグナーの楽曲もナチス党大会で演奏されるなど大いに利用されていた。そのため、今でもイスラエルを始めとするユダヤ社会ではワーグナーの音楽はタブー視されている。本作の重要なシーンでもオペラ『トリスタンとイゾルデ』の一節が流れる。

クリスタル・ナハト(水晶の夜)

1938年11月9日夜から10日未明にかけてドイツ全土で発生した反ユダヤ主義暴動。ナチ党が突撃隊(SA)などを使って組織的に各地のユダヤ人商店、住居などを襲撃した。特にシナゴーグ(ユダヤ教会堂)は徹底的に破壊され焼き払われた(公式記録ではユダヤ人死者は92名だが、犠牲者の実数ははるかに多かった)。この事件をきっかけに、ドイツにおけるユダヤ人の立場は一層悪化。ナチ政権による国外追放政策が促進され、現在からみれば、その後のホロコーストさえ予感させる不吉な事件だったと振り返るユダヤ人も少なくない。襲撃によりユダヤ人商店のショーウィンドウ等のガラスが砕け散り、破片がまるで水晶のようにあやしく輝いていたのをたとえて、当時この名がつけられたとされる。ドイツでは、残虐なこの忌まわしい事件を美化しかねない呼び名で、歴史的呼称としても不適切とされ、現在では「11月のポグロム」と称されることが多い。(ポグロムはユダヤ人に対する組織的大迫害を指す歴史用語)。

アウシュヴィッツ収容所

ユダヤ人の大殺戮が行われた収容所として戦後最も広く知られ、1979年には負の記憶遺産として世界遺産にも登録された。ナチ・ドイツが占領したポーランドの南西部に1940年設置、ヨーロッパ最大の複合収容所に発展していく。最初はポーランド人の反ナチ抵抗運動参加者をとらえて収容する強制収容所だったが、1941年6月から対ソ連侵攻が始まると、捕虜となったソ連軍兵士も大量に収容されるようになる。その4か月後にはソ連軍捕虜1万名を使ってアウシュヴィッツ第二収容所(ビルケナウ絶滅収容所)の建設が始まり、ガス殺室と遺体焼却炉をあわせもった巨大なユダヤ人殺戮施設が1943年春に完成。1944年11月にガス殺が中止されるまでに計約110万人が犠牲になった。強制収容所の面もあわせ持っていたアウシュヴィッツには、ユダヤ人だけでなく、政治犯ほか、「エホヴァの証人」信者、ロマ、この映画にも登場する同性愛者等、さまざまな「民族共同体異分子」「反社会分子」も収容されていた。

Chronology

<<第二次世界大戦後のナチス関連年表>>
1945年 4月30日 ヒトラーが総統地下壕で自殺。
5月 7日 ドイツ国防軍がフランスのランスで降伏文書に調印。翌8日、無条件降伏発効。
これにより連合国4カ国軍(アメリカ・イギリス・フランス・ソ連)による分割統治開始。
11月20日 ニュルンベルク裁判が始まる。(~1946年10月1日)
第二次世界大戦中、ナチ・ドイツによって行われた戦争犯罪を裁く国際軍事裁判。
1949年 5月23日 西側3カ国(アメリカ・イギリス・フランス)の管理地域にドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立。
10月 7日 ソ連の管理地域にドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立。
ドイツは東西の分断国家となる。
1960年 5月11日 *アドルフ・アイヒマンナチス親衛隊(SS)中佐。ヨーロッパ各地のユダヤ人をアウシュヴィッツはじめ6つの絶滅収容所へ強制移送する「総元締め」の役割を果たし、数百万人のユダヤ人殺害に決定的に関与した。戦後アルゼンチンへの逃亡に成功し、リカルド・クレメントという偽名を用いて1960年の逮捕まで潜伏生活を送っていた。が、イスラエルの情報機関モサドによって
潜伏先のアルゼンチンで拉致され、イスラエル・イェルサレムでの裁判
裁判の結果、死刑の判決が下る。
1962年 6月 1日 アイヒマンの絞首刑執行。
1963年 12月20日 西独フランクフルトでアウシュヴィッツ裁判が始まる。(~1965年8月10日)
イスラエルによるアイヒマン裁判で、ドイツ人の責任追及が十分でなかったことが明らかとなり、
ホロコースト犯罪に対して、ドイツ人自らによる本格的な裁判として開廷された。
アウシュヴィッツ収容所の副所長や医師等、20名が起訴された。
1977年 11月 ストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人、*サイモン・ヴィーゼンタール第二次世界大戦中、ナチスによって肉親を殺害され、自らも数々の収容所をたらいまわしになり虐待されたが、奇跡的に生き残った。戦後、逃亡し行方の知れないナチ戦犯容疑者の徹底的捜索追及に尽力し、1,100人をこえるナチ犯罪容疑者を断罪するのに貢献した。
名前を冠したサイモン・ヴィーゼンタール・センター設立。
ホロコーストの記録保存や世界で反ユダヤ主義が横行しないよう監視を行う。
1989年 11月 9日 ベルリンの壁崩壊。
1990年 10月 3日 西ドイツ統一。
2011年 5月12日 トレブリンカ絶滅収容所の元監視隊員であったジョン・デムヤンユクが、
ミュンヘン地方裁判所でユダヤ人ら2万8千人の殺害に関与したとして、
訴えられ、禁固5年の有罪判決を言い渡された。
デムヤンユク被告は翌年3月17日に老人介護施設で死亡、91歳だった。
2012年 7月18日 ハンガリーのブタペストで検察当局が、ナチス・ドイツのホロコーストに
加担したとして、ラスロ・チャタリ容疑者を逮捕した。
逮捕当時97歳だったチャタリ容疑者は、翌年8月10日に入院先の病院で死亡した。
2014年 6月 アメリカ司法当局が、アウシュヴィッツ強制収容所の元看守である
ヨハン・ブライヤー容疑者を逮捕した。
ブライヤーは1944年5~10月にユダヤ人約21万6千人の殺害を
ほう助した疑いでドイツの裁判所から逮捕状が出ていた。
2016年 6月17日 アウシュヴィッツ強制収容所の元看守であるラインホルト・ハニング被告が、
ユダヤ人ら約17万人の虐殺に関与したとして、殺人ほう助罪で禁固5年の
実刑判決を言い渡された。ハニング被告は94歳。